ピーター・フランプトンの音でSuhrの歴史がはじまる

私は元々ミュージシャン志望のバンドマンでした。自分の楽器から完璧なトーンを得たいと、色々な試行錯誤を重ねて、楽器を作ったりカスタマイズしたりの毎日を過ごしていました。

80年代初頭のある日、私はピーター・フランプトンが、ボブ・ブラッドショーが製作したサウンドシステムを使っているのを見て、スイッチャーが心底欲しいと思いました。それは、私が求めていた音だったからです。

ピーター・フランプトンは、70年代、ハードやハンブルパイ、フランプトンズキャメルで活躍し、その後ソロアルバム、「フランプトン・カムズ・アライブ」で一世を風靡したギタリストでした。

一方私は、当時コックとして働いていたギター青年。
コックの給料では、フランプトンと同じスイッチャーが買えるなど夢のまた夢でした。

そこで私は、NYの楽器店ルディーズのドアを叩きました。
楽器の修理をやらせて欲しいと頼み込み、働き始めました。
ピーター・フランプトンの同じ機材を買うのではなく、楽器をメンテナンスをする側に回ったのです。
それは私の音に対する「飽くなき探求心」の出発点でした。

Rudy Pensa & Bob Bradshaw

ルディーズでは「ペンザ・サー」* という歴史に残るギターを誕生させています。フロイトローズを搭載し、ピックアップの構成Single+Single+Humbucking、ディンキーシェイプと超ローアクションセッティングによってどのポジションもストレスフリーにフィンガーアクションができる、NYのセッションギタリストご用達になるは必然なことでした。
毎日これ1本担いでどんな仕事場でもどんなセッションもこなせるギターの基本形がここに出現したのです。

*ルディーズのオーナーである、ルディー・ペンザとジョン・サーの名前を取って命名されました。

ルディーズに在籍していたこの時期、私は、マーク・ノップラーエリック・クラプトンピーター・フランプトンルー・リードB・コナーズスティーヴ・スティーヴンズなど、多くのユーザーに「ペンザ・サー」を提供しました。
(日本でも「ペンザ・サー」が発売されると同時に、ミュージシャン同士が奪い合うように買い求めたという逸話が残されています)

その後私は、チューブ・アンプの製作がしたいという強い欲求に導かれて、1991年、私はルディーズを離れ、ピーターフランプトンのシステムを製作したカスタム・オーディオ・エレクトロニクス(CAE)の、ボブ・ブラッドショーの下に赴き、CAA 3+チューブ・プリアンプとCAA OD100アンプの設計に携わりました。ボブの持つエレクトロニクス理論や、現場重視の商品開発、カスタマイズを私は間近で学んだのでした。

暫くしてギターの製作を再開したいと思うようになり、トムアンダーソンのネック&ボディを使い、、スティーブルカサーのダンブルアンプで最終チェックしたSuhr Custom Brandのギターを僅かな期間でしたが製作しました。しかしビジネスとしては、結婚して家族が増えた私の金銭的なニーズを満たすものではありませんでした。

FenderからSuhrへ …飽くなき探求心の旅は続く

CAEを離れた私は、次のステージへと向かいました。
それが、フェンダー・カスタムショップのエレクトロニクス部門のビルダーとしての契約です。
ギターを作ることをひとまず封印し、そこで、アンプなどの研究開発を積み新製品開発にも関与、また、量産ギター製作のノウハウを学ぶことができたのです。
エリック・クラプトンがワールドツアーで使用するアンプとして、フェンダーのツイードをオーダーしてきた時のこと、エリックのところに何台送っても、 どうしても気に入った個体がなく、首を縦に振ってもらえない・・・。
アンプ担当もほとほと困り果てて、私にそのアンプの手直しをしてくれないかと、エリックから一発でOKが出たとその担当からは感謝されましたが。

その内かつての“クライアント”達がフェンダーに移籍したことを嗅ぎつけて、ギターを作ってくれないかとの要望が強くなり、フェンダーのカスタムビルダーとして、昔からの顧客だけでなく、マイケルランドー、スコットヘンダーソン等、フェンダーのクライアントからも注文が入るようになり、2年でも待つからとお願いするプレイヤーにも触発されて、自分の夢を実現するためフェンダーでのキャリアを終えることを決心しました。

そしてカスタマーの注文に応じるギターを作る小さな会社を立ち上げました。
それが「JST/Suhr Guitars」。そこでは、フェンダーで吸収した量産技術を基に、最高水準のCNCマシンを導入しました。

JST社の共同創業者であり、元リッケンバッカーに在籍していたプログラマー、スティーブ・スミスがマシニングセンタのプログラムを組み上げ、「Suhr Guitars」がスタートしたのです。当時月産数十本のギター生産にCNCを導入するメーカーなど皆無でした。

しかし将来の増産に対応するだけでなく、人間の手だけでしか追い求められなかった精度を、最新鋭の設備で達成したい、誰も成し得てない領域にチャレンジしたいと強く思ったのも事実です。
1980年代から急速に変化し続ける演奏環境に即応してきた私、John Suhr。

ルディーズ、CAE、フェンダーを経て、ギタービルダーとしてアンプエンジニアとしての飽くなき探求心に応え得る理想の環境に囲まれた今、これからもプレイヤーを驚かせる仕事をし続けるのは私の天命であると。